
東京にちょっぴり恋している。その気になれば、東京ほど
学べる場所はない。導かれながら、あらゆるジャンルの深
き人々に出会える。混沌とした雑踏に埋没しそうになり、
だからこそ己を見つめることができる。それらを通してプ
ロセスという世界が見える。

近所の墓地のてっぺんから見渡す風景が気に入っている。里山の
麓にたくさんの墓が並び、竹林を境界にして向こうに町が広がる。
そのまた向こうは海と空。生も死も、自然も人工物も、みんなこ
の手中にある。まるで観音様の視座から眺めているような気分は
単純に気持ちがいい。俯瞰するまなざしを時には思い出したいも
のだ。でも全体を眺めているだけじゃやっぱり物足りない。町に
埋もれて蠢いて、家の外や内で泣いて笑ってこそ生きている。人
間なんだもん。

前触れもなく音もなく、雪が降り出した。空を見上げる。灰色
の柔らかなシルエットになって、雪が舞う。とても不思議な光
景だ。雪が降るなんて。ひらひら、はらはら。手のひらを差し
出す。ひとひらが舞い降りた。ほんの少しの冷たさに心がふん
わりあったまる。雪は天からの手紙だと、ふるさとの科学者が
言った。しんみりと手の中で消えてった。

細りゆく明け方の月を見上げながら、年の瀬を感じてみる。婿を
喪った一年が、二年になり、こうして日々がゆっくりと過ぎてゆ
く。否、過ぎ去るのではない。めぐっているのだ、この月のよう
に。欠けて、消えて、また現れて。なにもかも、きっと。めぐり
来る新しい年はどんなふうに迎えようか。元旦は京都で仕事。世
の中の暦に合わせてありがたく従事する。帰ったら、老いた両親
を初詣に連れて行く約束をした。旧正月のしらやまさんはすでに
平常業務だが、だから周りを気にせず心安らかに手を合わすこと
ができる。そうだ、友からの韓国土産の濁酒があった。お屠蘇と
していただこう。新年を滞りなく迎えることができたなら。

今では珍しいもののひとつになってしまった電話ボックスには、
いくつもの思い出がある。東京に出て数ヶ月経ったころ、下宿
近くの電話からふるさとへかけた。貯めた十円玉がコトンコト
ンと音を立て驚く早さで落ちて行った。半分ほどは言葉が見つ
からず黙り込んでいたかも知れない。プツンと途切れたあと、
受話器の向こうにいた人を想い、胸の高鳴りがすぐには治まら
なかった。あの夜が遠距離恋愛のはじまりだった。電話ボック
スの閉ざされた空間は外からでも見えるけれど、入ってしまう
と空気が変わる。電話線でつながった、私的な物語がはじまる
のだ。電話一本するだけのことなのに、ここを離れたどこかで
物語りをはじめる覚悟のような新しい気持ちが必要になる。ひ
とつひとつゆっくりとボタンを押した。ケイタイなんかじゃ決
して感じ得ない、今から思えばとても味のある瞬間だった。小
さな箱の中でいつも体丸ごとで電話していた気がする。

今年もジッジとかまくらを作るんだと、タウが楽しみに
していたんだとか。それを聞かされたのでは作らないわ
けには行かない。せっせと雪を積み上げ、中を掘り出し
た。北陸の雪は湿って重い。かまくら作りは遊びという
より体力的には労働に近い。なんとか夕暮れに間に合っ
た。ろうそくを何本も灯す。ジッジはそればかりが楽し
みだったんだ。この少年、ジッジの昔によく似ている。
とても遊び上手だ。

行きつけの秘密の原っぱがある。ほとんど誰も来ないものだから
そう呼んでいる。こんもり小高い里山と竹林に囲まれて、ひとり
でいるとちょっとした舞台にもなる。歌い踊りオカリナを吹き、
時には寝そべって空が友だち。天上の人へと思いを馳せる私的な
聖地でもある。人間にはきっと秘密の場所が必要なんだろう。そ
の場所でしか感じられない、自分の中の変わらないものと変わっ
てゆくものがある。変わらないはずの風景がちがって見えてくる
というプライベートな経験がそれを教えてくれる。

日本人は兎小屋に住んでいると、どこのどなかたは忘れたが、外国のお方が
かつて申された。その方々のお国の歴史を越えた年月をこの部屋は持ってい
る。古き良きものを来る日も来る日も手入れして、大和の国は続いてきたん
だろう、などと兎小屋に住みながら想像してみる。時は金なりとはいつのこ
ろから言い出したものか。時は、珠玉の宝物ではあるけれど。

舞い降りたばかりの雪の上に街灯の光が広がっていた。なんと
豊かな諧調だろう。晴れとも曇りとも無縁な、まだ闇に包まれ
ている夜明け前、雪が、灯りが、こんなにも美しい。踏み込む
ことさえできない、公園の畏憚の時。

東京には魔法使いが棲んでいる。関心があるような、ないような、どちら
とも見分けのつかない顔をして通りを彷徨っている。誰がそうで、そうで
ないのか、魔法にかかると見えてくる。やめろ、やめるんだ、自分に魔法
をかけるなんて。こんな夜は、段ボールの壁に埋もれて眠れ。
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